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鉄山師近藤家の都合山たたら跡をたどる   奥日野ガイド倶楽部

2021年7月27日

 鳥取県指定史跡の都合山たたら跡トレッキングが、6月27日奥日野ガイド倶楽部主催で開催されました。
鉄鉱石に恵まれない日本では、風化した花崗岩にわずかに含まれる砂鉄を原料に、山の雑木から造る木炭を燃料として用いる、日本古来の製鉄法「たたら」が行われてきました。
奥日野では大正時代まで、全国でも屈指の「たたら製鉄」産業があり、多くの人が従事し、その暮らしを支えていました。
 根雨の下備後屋近藤家は鳥取県有数の鉄山師(たたら経営者)であり、その中心となるのが都合山たたらでした。
 都合山たたら跡までの道のりは約2キロメートルです。風を防ぐ山の地形や燃料となる雑木の状況からこの地が選定されたそうです。200人近い人々が働き暮らすたたらには1日約500頭の馬が荷物を運んでいました。
上菅五滝や新緑を楽しみながら都合山たたら跡に到着すると奥日野ガイド倶楽部の佐々木彬夫さんから都合山山内(たたら製鉄に従事していた人たちが日々働き、生活していた地区の総称)の説明がありました。たたら跡への道のりは、笹原や張り出した木の枝がありましたが、伯耆国たたら顕彰会と地元上菅地区の方々約30人が整備しました。
中心施設である高殿、大鍛冶場、鉄池、砂鉄洗場など、現在は植林され杉林となっていますが、下草はきれいに刈られ、それぞれに表示もありました。これらの施設跡を目前に佐々木さんの説明を伺っていると当時の繁栄と苦労がよみがえるようで、15人の参加者は佐々木さんの説明に聞き入っていました。
 参加者からは「近藤家のたたら事業の壮大さが分かった。現地を見ると知識が実感として浮かびあがってくる」「明治時代から製鉄が産業を支えていたことが分かった」などの感想がありました。
 高祖父(ひいひいおじいさん)が近藤家の手代だったという伯耆町在住の方は「自分のルーツを知りたい思いが強くなった」と語っていました。また、小説「TATARA」の著者である松本薫さんも参加しており、興味深いお話に参加者は充実したひとときを楽しんでいました。

奥日野ガイド俱楽部の佐々木彬夫さん

後方が高殿、説明に聞き入る参加者の皆さん

都合山たたら跡近くにある休憩所都合山キャビンで記念撮影

都合山たたら跡までの道は橋が架けられ整備されている

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