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「中耕除草機「太一車」 日本型稲作づくりの基本をつくった中井太一郎」  北村隆雄さん(小鴨地区振興協議会太一車研究委員会委員長)

2021年6月09日

 倉吉中央ロータリークラブ第1274回例会が、6月9日に倉吉シティホテルで開催され、小鴨地区振興協議会太一車研究委員会委員長北村隆雄さんの講話がありました。
 中井太一郎は1830年(天保元年)久米郡小鴨村中河原(現在の倉吉市)で生まれました。裕福な庄屋の家でしたが家運が傾き田畑を売り払うなかで父が死亡し困窮しますが、やがて農業経営を再建。人望が高まり藩政と明治県政の中で役人の重責を担うことになります。
 1880年(明治11年)に家督を息子益蔵に譲り稲作研究に専念することになります。その原点となる経験は7歳の時に大飢饉「天保の飢饉」に遭遇し、飢えに苦しみ、死んでいったたくさんの人たちを目のあたりにし、食料の増産や備蓄を考えるようになったことにあります。
 太一郎の功績は稲作の生産性を上げるために苗を等間隔に植える「正条植え」を考案し、「田植定規」を制作し普及を図ったことです。現在の稲作では常識となっている正条植えを考案したのが倉吉市小鴨出身の中井太一郎ということです。
 そして、当時最も重労働だったのが田の草取りです。田の中を転がし雑草を引き抜く田打ち転がしはすでに世にありましたが、太一郎は改良を加え独創的な「太一車」を作り特許を取得します。太一郎の賞されるところは、田植定規、太一車の発明とともに稲作全般にわたる改良を書籍や広報誌で啓発、全国を回っての実地指導など農業の近代化に寄与したことです。
 太一車は過去の一時期に有用だった農耕機ではなく、原理は同じ除草機が現在も活躍しています。国内3社が現在も製作し環境にやさしい無農薬、減農薬な稲作づくりに貢献しており、アフリカ等海外でも使用されています。
 北村さんは、「家督を息子に譲った50歳台からの太一郎の挑戦、明治半ばに特許を取得したことにより全国に普及させ、日本の稲作発展に大きな功績を残したことは特筆すべきこと」と語っていました。
 倉吉中央ロータリークラブ牧野卓哉会長は、「農家の皆さんは田に這いつくばり草取りをしていた。太一車の普及で立ったまま作業ができるようになった。現代は環境にやさしい無農薬栽培で米の価格も決まる時代。有機栽培が注目を浴び、機械除草がもう一度見直されようとしている」と話していました。

北村隆雄さん

会場の風景

国内メーカー生産の水田中耕除草機 太一車と原理は同じ

明治時代製造の太一車 原理は現在も変わらない 倉吉博物館所蔵

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