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伯耆は日本始まりの地   倭国古代史研究会・山陰古代史研究会など

2020年11月28日

 「古事記などにある日本神話の高天原は蒜山」とする古代史研究グループの集中講義が11月28日、北栄町中央公民館の大栄分館でありました。蒜山に隣接する伯耆は天孫降臨の地、日本始まりの地であることを確認するとともに、国譲りの舞台は中海だったという新説を発表しました。
 集まったのは、蒜山高天原神話ロマンの会(橋本勝治会長)▽山陰古代史研究会(田中文也代表)▽倭国古代史研究会(道祖尾義孝会長)―の3団体と古代史ファンの約60人です。それぞれの代表が研究成果を報告し、意見交換しました。
 日本神話の高天原は天照大御神など天津神が住んでいたところです。奈良県御所市や宮崎県高千穂町・高原町、熊本県山都町など全国10カ所余りが、そのゆかりの地を名乗っています。
 岡山県真庭市の蒜山もその一つです。勝山中学(現・勝山高校)の教頭だった佐竹淳和さんが昭和2年、地域踏査して「神代遺蹟考」をまとめ、「高天原は日留山高原だった」と発表しています。蒜山の茅部神社奥には天の岩戸があり、中蒜山の中腹には宮城の名残があり、地域のすべての神社で天照大御神がまつられています。それらが蒜山高天原説の根拠になっています。
 蒜山に高天原があったとすれば、天孫降臨したのはどこか。通説では九州ということになっていますが、倭国古代史研究会など3団体は蒜山に隣接した鳥取県中部とみています。
 そのキーマンが徐福です。紀元前3世紀に大陸から五穀の種や多くの若人、工人を連れて日本にやってきたといわれる集団です。縄文海進で海岸が奥地に入り込んだ県中部にも上陸しました。そして蒜山へ行って稲作を伝えた、あるいは降りてきて王国を開いた、見解が分かれるところですが、徐福やその末裔たちは山陰を拠点に全国各地に稲作など先進文化を広めたと考えています。
 道祖尾会長によると、天孫降臨の地は北栄町上種の大宮神社と推定しています。周辺からは弥生時代後期の住居跡が多く見つかっています。また、神武天皇の4兄弟は倉吉市の四王寺山で過ごしたといいます。そのふもとにある弥生時代の中尾遺跡からは日本最長の鉄の矛が見つかったばかりです。東郷湖の宮内遺跡からも、やはり日本最長の弥生時代の鉄剣などが発掘されており、道祖尾会長は「県中部に王がいた証拠」と言います。
 田中代表は松江市の船神事・ホーランエンヤで、櫂伝馬船を繰り出す中海5地区の神社祭神が国譲りに登場する神々で、しかもみな大山・蒜山が見えるところにあることを突き止め、国譲りの交渉は出雲の稲佐の浜ではなく、中海の「否さの浜」で行われたのではないかと新説を紹介しました。

橋本勝治さん

田中文也さん

道祖尾義孝さん

蒜山三山(天の岩戸がある茅部神社から)

紀元前200年頃は海抜4mのところに海があった(伯耆の海辺)

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