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鳥取県のオリンピアン       油野利博さん

2020年6月14日

 コロナウイルスの世界的な感染拡大で、2020年夏の東京五輪は延期になってしまいましたが、鳥取市の県立博物館は「輝いていた1960年代展」を開き、五輪ムードを盛り上げています。6月14日には鳥取大名誉教授の油野利博さん(鳥取県スポーツ協会名誉会長)が「鳥取県のオリンピアン」、21日には札幌五輪のスキー競技に出場した大杖正彦さん(大山町議)が「オリンピックがくれたもの」について話しました。同展は7月5日までです。
 油野さんによると、鳥取県ゆかりのオリンピアンは51人います(選手、監督、コーチ、審判員、大会役員、パラリンピック含む)。第9回アムステルダム大会(1928年)の陸上競技に南部忠平さん(早稲田大―鳥取女子短大学長)が出場したのが最初でした。メダルを取ったのは、その南部さんがロサンゼルス大会(1932年、陸上競技)で金と銅、森下広一さん(八頭高―旭化成―トヨタ自動車九州陸上競技監督)がバルセロナ大会(1992年、マラソン)で銀。2人だけです。
 柔道の阿部信文さん(県立米子中学―東京高等師範)は東京大会(1964年)で模範演技「古式の形」を披露し、世界に柔道を紹介しました。バレーボールの水原理枝子さん(鳥取家政高―ユニチカ)はモスクワ大会(1980年)の選手に選ばれながらも、〝東西冷戦〟に伴う日本の大会不参加で幻になってしまいました。それぞれのオリンピアンに、それぞれのドラマがあります。
油野さんは箱根駅伝の経験者で陸上競技が専門です。そこで鳥取県のオリンピアンのうち、県出身の陸上競技選手とその指導者群像を紹介しました。
 選手は①安田矩明(棒高跳び)②岸本幸子(走り幅跳び)③阿部直紀(走り幅跳び)④森美乃里(やり投げ)⑤山下佐知子(マラソン)⑥森下広一(マラソン)―の6人です。それぞれの系譜は別表の通りですが、鳥取師範や鳥取大の卒業生が選手の育成に大きくかかわっていることがよく分かります。バルセロナ大会(1992年)のマラソンで4位に入った山下佐知子さん(鳥取東高―鳥取大―京セラ―第一生命)は、油野さんの教え子です。
 それぞれの選手の大先輩には、日本初の陸上競技指導書を著した野口源三郎さん、学校体操や女子スポーツの普及で活躍した三橋喜久雄・義男さんの兄弟、日本陸連の常務として陸上競技の振興に努めた浅川正一さんなどがいます。
 次いでながら、極東大会(1913~1934年)はアジアで最初にできた国際大会です。戦後、アジア競技大会に衣替えしました。

油野利博さん

東京五輪に出場した岸本幸子さんと鳥取西高陸上部寄贈の応援旗の寄せ書き

油野利博さん作成の系譜図

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