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まちにあふれる放哉俳句      岡村洋次さん

2020年1月21日

 鳥取市民大学は1月21日、市文化センターで郷土の歴史講座を開き、「せきをしてもひとり」などの名句を残した郷土出身の俳人・尾崎放哉について学びました。講師は放哉の会の事務局長・岡村洋次さんで、放哉の一生を紹介するとともに、市内にあふれる放哉の句碑めぐりを勧めました。
 尾崎放哉(本名・秀雄)は明治18年(1885年)、邑美郡(現・鳥取市)吉方町で生まれました。鳥取中学―一高―東京帝大を経て保険会社に就職しますが、酒で失敗し、京都・一燈園、兵庫・須磨寺、福井・常高寺などを転々とした後、大正15年(1926年)に小豆島・西光寺の南郷庵で病死します。命日は4月7日、41歳でした。
 放哉はお寺の堂守をするかたわら、俳句づくりに励みました。その俳句は荻原井泉水の影響を受けて、季語や形式にとらわれないもので、「足のうら洗へば白くなる」「淋しい寝る本がない」「入れものが無い両手で受ける」「肉がやせて来る太い骨である」「春の山のうしろから烟が出だした」などの名句を多く残し、種田山頭火とともに自由律俳句の双璧とされています。
 放哉を顕彰する放哉の会(柴山抱海会長)は平成27年の放哉生誕130年を記念して、市内36カ所に119基の句碑を建立しました。選句したのは作家の佐高信さん、揮ごうしたのは日本や鳥取県を代表する書家のみなさん。わらべ館、鳥取城跡、鳥取駅、生家周辺などに林立しています。これらの「放哉碑林」は、元大工町にある「城下町とっとり交流館・高砂屋」を拠点に巡回できる仕組みで、市内観光の目玉になっています。コースは3つあり、所要時間はそれぞれ約2時間です。
 岡村さんは「まちにあふれる放哉俳句」と題して語りました。それによると、放哉の俳句づくりは中学時代から始まったそうで、その頃の俳号は「梅史」。師匠格の井泉水と出会ったのは一高時代。帝大時代は「芳哉」の俳号で「ホトトギス」や「国民新聞」に盛んに投句したといいます。俳号の「芳」は恋人のいとこ・沢芳衛さんからの借用で、郷土文学の研究者・村尾草樹さんの「放哉」に詳しいといいます。
 岡村さんは「放哉の句には現代人を引きつける言葉の魅力がある」と分析しています。その証拠に売れっ子作家や外国文学者などによる、放哉をテーマにした新書が次々に出版されています。岡村さんは「書道の『放哉を書く』全国公募展にとどまらず、今も旬の放哉をもっともっと全国発信していかなければ」と訴えていました。

岡村洋次さん

放哉の句碑をガイドする柴山抱海さん

放哉碑林めぐり

放哉研究のバイブル、村尾草樹著「放哉」

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