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鳥取はひとつ             稲垣晴雲さん

2019年12月10日

 鳥取市の市民大学は12月10日、市文化センターで郷土の歴史講座を開き、鳥取書道連盟副会長の稲垣晴雲さんが「日本の書展と郷土の書家たち」について話し、鳥取の書家たちは結束して若人の育成に励んでいることを伝えました。
 稲垣さんは八頭高―鳥取大を経て、主に高校で書道を教えてきました。小学生のころから絵を描くのが好きで、書道は八頭高時代、バレーボール監督でも有名な矢部祥園さんに鍛えられたそうです。
 講座は漢字の成り立ち、文字の変遷から始まりました。漢字は今から3千年余り前、中国大陸でつくられたといわれます。亀の甲や獣骨に掘られた文字です。巫女が皇帝のために読み解いたものです。木簡、竹簡の登場で文字はヒトのものになりました。文字は秦の時代に統一されます。意思伝達の道具であると同時に、ながめることができるのが文字です。読み方や意味が分かれば、文字が装飾されていきました。「アルファベットにはない東洋人の発想の豊かさだ」と稲垣さんは言います。
 秦の始皇帝が定めた文字は篆書(てんしょ)と呼ばれました。字体は長方形に左右対称、筆画は丸みを帯びています。やがて篆書を速く書く隷書がはやります。丸みを帯びた線は真っすぐになり、点やはらいなどの書き方が生まれました。今でも金融機関の看板や新聞の題字などに広く使われています。
 中国の戦国時代、4~5世紀には楷書が登場します。一点一画がきちんとしている標準的な字体です。楷書を早書きしたのが行書です。王義之の「蘭亭序」が有名です。この楷書主流の書道に反発したのが、唐の顔真卿です。「形だけ追求すると書道にならない、自分に素直に」と主張し、書道に芸術性をもたらしたといいます。ちなみに、隷書を続け書きしたのが草書です。読みにくく実用性に欠けますが、芸術性が高いので、書の作品に多く見られます。日本では平安時代、一字一音を活用して楷書からカタカナ、草書からひらがなを作り出しました。
 稲垣さんは書道展の歴史も紹介しました。それによると、日展に書が加わったのは昭和23年からで、それまでは書道は芸術ではないと締め出されていたそうです。県内でも同様で、昭和24年から県展が始まったものの、書が加わったのは2年後だったといいます。
 これを反映して昭和初期の県内書家の作品はほとんどなくなっているといいます。県東部でいえば、桶川玲峰(丹比)、横川三隅(用瀬)、都宮彬聖(若桜)、大渕碧晴(日下部)、蔵光渓山(青谷)、谷口雲崖(河原)、矢部祥園(用呂)、金沢朴堂・田中大伯(いずれも大丸)―などの作品です。心当たりの方は稲垣さんへご連絡ください。

稲垣晴雲さん

木簡

王義之の「蘭亭序」の一部

顔真卿の「建中告身帖」

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