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中井太一郎を大河ドラマに!        北村隆雄さん

2019年11月26日

 鳥取市の市民大学は11月26日、市文化センターで郷土の歴史講座を開き、倉吉市小鴨地区振興協議会の北村隆雄さん(太一車研究会委員長)から鳥取県の大河ドラマ候補「近代稲作の父・中井太一郎」の物語を聞き、郷土の偉人について認識を新たにしました。
 中井太一郎(1830~1913年)は倉吉市小鴨に生まれ、米の増産に生涯を捧げた人です。苗を等間隔に植える「正条植え」を実現するため、「田植え定規」をつくって普及に乗り出しました。54歳の時です。これによって日本に美しい田園風景が広がり、田植え機やコンバインが活躍するステージができました。
 米づくりでつらいのは、田んぼの草取りです。夏の暑い盛り、泥の中をはい回る大変な作業です。明治25年、中井62歳の時。田んぼを耕しながら草取りもする中耕除草器「太一車」を開発(特許取得)し、米づくり農家を重労働から解放しました。いまでは農薬の普及などで役割を終えましたが、無農薬や減農薬の米づくりには欠かせず、米子市の農機具メーカーなどはアルミ製の軽量除草器を開発して生産販売を続けています。また、「太一車」は食糧増産に励むアフリカで人気で、JICA(国際協力機構)などが活用しています。
 太一郎は米づくりの技法などをまとめた「大日本稲作要法」を出版し、その普及のため全国行脚して回りました。いまほど交通網が発達していない明治時代です。60~70歳代の時でした。このときの仲間・帝国農家結合が母体になって、いまのJAの前身組織・帝国一致協会が誕生しました。太一郎はJA生みの親のひとりです。
 北村さんによると、太一郎7歳の時、天保の大飢饉(江戸時代)があり、たくさんの人が飢えで苦しみ死んでいくのを目の当たりにして食糧の増産・備蓄の必要性を痛感したといいます。この時の体験が太一郎を謙虚で挑戦心を忘れない、社会のためを貫く信念の人にしたといいます。
 倉吉市小鴨地区では、地域の誇り・太一郎を顕彰する冊子、寸劇、紙芝居、講談、歌、創作餅などをつくり、地域挙げて、折に触れて上演しています。
 「鳥取県を舞台に!歴史大河ドラマを推進する会」は、岩美町出身の外交官兄弟、澤田節蔵・廉三とその妻美喜の「三愛のクニへ」▽童謡「赤とんぼ」の母・碧川かた物語▽比叡山や大山を再興した名僧豪円―に次いで、4本目の大河ドラマ候補に近代稲作の父・中井太一郎を県民投票で選んでいます。

北村隆雄さんと現代の「太一車」

現代の「太一車」をチェックする受講者のみなさん

中井太一郎の著書「大日本稲作要法」

中井太一郎のパンフレット

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