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「令和」と鳥取          福井伸一郎さん

2019年11月16日

 伯耆国府があった倉吉市の社公民館で11月16日、鳥取県肢体不自由児者父母の大会があり、山上憶良の会の福井伸一郎会長が記念講演しました。福井さんは家族思いだった憶良のことや鳥取県と新元号「令和」のゆかりを紹介し、「歌のくにとっとり、いや重け吉事」とことほぎました。およそ100人が聴講しました。
 万葉歌人のひとり、山上憶良が伯耆国守でいたのは716年から4年間ほどです。憶良はその後、首皇子(聖武天皇)の教育係を経て、726年に筑前国守になります。上司の大宰府長官は大伴旅人(家持の父)。旅人らとともに歌づくりに励み、大宰府で「梅花の宴」などを楽しみました。その時の歌や序文が万葉集に載り、ここから新元号「令和」が採用されました。
 福井さんによると、文学博士で日本学士院恩賜賞受賞の小島憲之さん(八頭郡郡家町出身)の調査研究で、「梅花の宴」の序文を作成したのは憶良だとわかり、万葉集の編集者で因幡国守だった家持も含めて、鳥取県と「令和」の深いつながりを改めて思い知ったといいます。
 憶良といえば、家族や子どもを思う歌が有名です。
「瓜食(は)めば 子ども思ほゆ 栗食めば まして偲(しぬ)はゆ いづくより 来たりしものそ まなかに もとなかりて 安眠(やすい)しなさぬ」(瓜を食べれば、子どものことが思われる。栗を食べれば、ましてしのばれる。どこから来たのか、その面影がちらついて安眠できない)。そのエキスを歌った反歌が
「銀(しろかね)も 金(くがね)も玉も 何せむに 優れる宝 子にしかめやも」
 いつの世も子どもを思う心は尊いものです。
 福井さんによると、この「子らを思う歌」は筑前国の視察中に歌われたものらしく、残念ながら憶良が伯耆国守時代の歌は残っていないそうです。「続日本紀」には713年に伯耆国から皇室に瓜が献上された記録が残っており、「憶良も食べているはずなのに」と福井さんは残念がります。
 そこで福井さんたちは憶良の足跡を残そうと、平成22年に憶良の会をつくり、倉吉市教育委員会は平成24年から憶良短歌賞を始めました。宮中歌会始選者の永田和宏さんらを選者にして、「家族」をテーマに全国公募を続けており、毎年5千首を超える歌が集まっています。憶良賞は憶良の歌碑のそばで顕彰しています。その中のいくつか。
 母の日にお店に行って買ってきた コーヒー茶碗まだ箱の中(小学5年生)▽家帰り校歌練習していると 父母が一緒に歌い始める(中学3年生)▽十六の年が過ぎ去りふと思う 母の寝顔を見たことがあるか(高校3年生)▽空っぽの弁当箱が置いてある 子は忘れたか今朝の口論(北栄町女性)

福井伸一郎さん

山上憶良記念集(令和元年10月出版)

山上憶良の歌碑と顕彰碑(倉吉市国府)

鳥取県肢体不自由児者父母の大会(社公民館)

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