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倉吉は天皇家ゆかりの地       根鈴輝雄さん

2019年10月14日

 令和天皇の御即位を記念して倉吉博物館は「光格天皇の事績と、その生母大江磐代君展」(10月22日~11月4日)を開きますが、それを前に10月14日、大江磐代君ゆかりの地めぐりがあり、根鈴輝雄さん(倉吉博物館長)の案内で約50人が打吹山のふもとの大江神社などを訪ねました。
 大江磐代君(1744~1812年)は天皇の母となった倉吉の女性です。令和天皇の7代前、江戸時代末期の第119代光格天皇の生母です。
 伝記によると、磐代君(幼名つる)は倉吉の田町(現在の湊町)生まれ。父は鳥取藩の侍・岩室常右衛門、母はりん。つる9歳の時、父親に連れられて京都に上り、礼儀作法などを学びます。縁あって宮中の女官に仕え、その働きぶりが認められて閑院宮家に入り、側室となって5人の王子をもうけました。その第1子が後の光格天皇です。光格天皇は「新嘗祭」を再興したほか、朝廷の権威回復に努め、その志は孫の孝明天皇やひ孫の明治天皇に受け継がれ、明治維新につながっていったといいます。
 身分制度が厳しかった昔のことです。磐代君が光格天皇の生母だと系図に載ったのは、磐代君没後65年、明治10年のことでした。母親のりんに至っては、家柄・身分などは不明のままです。田町で焼き餅を売って生計を立てていたとか、鉄問屋の娘だったともいわれています。一説には、その鉄問屋は松江城主・堀尾吉晴の末裔で、琴浦町の大庄屋・河本家や倉吉淀屋(大阪淀屋)などと親しい関係があったとも伝わっています。
 さて、磐代君ゆかりの地めぐりは、大正天皇が皇太子時代に宿泊された飛龍閣―磐代君をまつる大江神社―賀茂神社―磐代君の生誕地・湊町公園-母りんの墓所・大岳院を回りました。
 根鈴さんによると、打吹公園は東京・日比谷公園に次いで、全国2番目にできた風格のある都市公園だったそうです。かつての倉吉は財力があり、山陰を代表する産業都市でした。
 ゆかりの地めぐりのこの日は、ちょうど大江神社の月例祭(大正2年4月14日創建)が執り行われ、吉田武章宮司が神事で出迎えました。「磐代君は倉吉の誇りです。倉吉は天皇家とゆかりがあります。胸を張っていきましょう」と話していました。

根鈴輝雄さん

大江神社

大江磐代君の生誕地(倉吉市湊町)

大江磐代君の母・りんの墓(大岳院)

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