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日本遺産めぐりは面白い①     いなば国府ガイドクラブ、本城義照さん

2019年9月28日

 「麒麟獅子舞」文化圏の物語が日本遺産になったのを記念して、とっとりいきいきシニアバンクを運営する鳥取県社会福祉協議会は9月28日、鳥取市国府町で日本遺産めぐりの体験会を開きました。シニアガイドの発掘やスキルアップがねらいで、万葉の里の長い歴史と魅力を学びました。この体験会は10月26日にも青谷町で開きます。
 国府町の日本遺産めぐりは、「因幡万葉の里で『令和』を学び、幽玄の灯籠会に麒麟獅子が舞う」がテーマでした。地元をはじめ、松江市などから20人が参加し、いなば国府ガイドクラブ(沖廣俊代表)の案内で、宇倍神社―因幡国庁跡―大伴家持歌碑―因幡万葉歴史館―交流サロン一の宮―池田家墓所をめぐりました。
 七五三や結婚式などでにぎわう因幡国一の宮・宇倍神社では、祢宜の金田祐季さん(神道青年全国協議会長)が神社の故事来歴を紹介しました。創建は大化の改新があったころ(648年)。祭神は武内宿祢命。景行・成務・仲哀・応神・仁徳の5代の天皇に仕え、日本の統一に励んだ日本初の「大臣」です。その肖像は社殿とともに何度も紙幣になり、おカネにゆかりがある神社、商売繁盛の神様として多くの人が参詣しています。
 麒麟獅子舞は初代鳥取藩主・池田光仲が樗谿に鳥取東照宮を建て(1650年)、その祭礼の行列に登場させたのが始まりと伝えられています。神楽獅子の頭を中国の想像上の動物、麒麟に変えたわけですが、麒麟は優れた政治を行う時に現れるという中国の故事に倣ったものです。光仲は藩政統治の決意を表し、家康のひ孫、徳川直系であることを周知するのがねらいだったとみられています。
 この麒麟獅子舞は因幡や但馬を中心に広がり、今でも多くの神社の祭礼で舞われていますが、宇倍神社のものが最古とされています。金田祢宜によると、かつて中近東にいた百獣の王・ライオンが欧州では権威の象徴になり、アジアではデフォルメ化されて悪霊を払う獅子になったそうで、麒麟獅子の正体はライオンということです。
 因幡国庁跡と大伴家持歌碑はガイドクラブ会員の田中道春さん(万葉集朗唱の会代表)が案内しました。それによると、国の史跡公園になっている国庁跡は7千㎡しか残っていないものの、実物は5倍近い広さ(約3.2ha)があったそうで、因幡三山に囲まれて景観がよく、交通の要衝だったといいます。近くには銅などの鉱山もあり、徴税や輸送に便利な場所として、いまの国府町に国衙が設けられたのかもしれません。
 因幡万葉歴史館では因幡国守・大伴家持が編纂したとされる万葉集が新元号「令和」の出典根拠になっていることを学びました。
 元号は「大化」が最初です。それ以降、元号は247番目の「平成」まで漢籍から採用されてきましたが、248番目の「令和」は日本最古の歌集・万葉集から採用されました。万葉集巻五の「梅花の歌三十二首、并せて序」の序文、「初春の令月にして、気淑(よ)く風和ぐ」の一節から「令」と「和」の2字がとられたものです。
 「梅花の歌三十二首、并せて序」は家持の父・旅人が太宰府長官だった時、九州の官人たちを邸宅に招いて梅の花見をし、そこで詠まれた歌の数々です。当時筑前国守だった山上憶良(元伯耆国守)の歌もあります。
 学芸員の鎌澤圭伸さんによると、梅見の宴は家持13歳の時で、同席していた可能性があるそうで、家持は越中国守時代に「春のうちの楽しき終(おへ)は梅の花 手折り招(を)きつつ遊ぶにあるべし」(春のうちで楽しみの極みは、梅の枝を手折って花の精霊を招いて、ともに遊宴にひたること)と詠んでおり、家持の歌づくり、万葉集づくりに大きな影響を及ぼしたとみています。
 家持を顕彰する因幡万葉歴史館は、「令和」の時代になって、多くの万葉集ファンでにぎわっています。

田中道春さん

因幡国一の宮・宇倍神社

因幡国庁跡から面影山を望む

万葉歴史館で万葉の里の歴史を学ぶ

お金になった宇倍神社(明治時代)

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