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山陰最古の大御堂廃寺      倉吉文化財協会

2019年7月27日

 倉吉市の中心市街地、県立美術館の建設予定地に隣接する国史跡・大御堂廃寺跡の保存活用策が課題になっていますが、倉吉市文化財協会(真田広幸会長)は7月27日、倉吉交流プラザに古代寺院研究家の花谷浩さん(出雲弥生の森博物館長)を招き、大御堂廃寺の価値などについて学びました。
 大御堂廃寺は元興和紡績の跡地の一角、倉吉未来中心や県立美術館建設予定地の市営ラグビー場の隣りにあります。平成8年から5年間にわたる発掘調査で、7世紀中ごろに建てられた山陰最古級の古代寺院で、大規模な僧坊や木樋などの上水道施設を備えた寺院だったことが分かり、平成13年に国の史跡になりました。
 寺域は東西約135m、南北推定220m。芝生が張られ、スポーツやイベント広場などに利用されています。出土品は鬼瓦や墨書した瓦、獣頭やさじなどの銅製品、木製祭祀具など貴重なものが多く、倉吉博物館が保存、展示しています。
 市営ラグビー場への県立美術館の立地(2024年開館予定)が決まったことで、大御堂廃寺跡の保存活用策が急浮上してきました。中部地区の官民は美術館の立地は地域活性化の好機ととらえ、交通アクセスや盛り上げなどの検討を進めているところですが、廃寺跡を含めた周辺環境の整備も大きなテーマです。
 そこで倉吉文化財協会は講演会を開いたもので、市民の関心の高さを映して会場は満席、60人を超えるにぎわいでした。
 花谷館長は仏教伝来後の東アジア情勢や国内外の政治状況をひも解きながら、古代寺院建設の波が山陰へやってきたいきさつを解説しました。このなかで花谷館長は「百済からの仏教伝来の見返りに日本は軍隊や馬などの軍事力を提供した」と指摘し、仏教による国づくりの足跡を紹介しました。
 大御堂廃寺は伯耆国久米郡の「郡寺」で、向山のふもとにある三明寺古墳被葬者の権力を引き継ぐモニュメントとして建てられたといいます。ちょうど新羅が朝鮮半島を統一したころです。山陰最古の瓦葺き寺院で、伽藍は藤原京の時代(694~710年)に完成し、10世紀後半まで寺は維持されたそうです。だれの氏寺かは不明ですが、花谷館長は「重要な廃寺なので、斎尾廃寺(琴浦町)や吉備などとの関係を調べて再評価してはどうか」と提案しました。
 万葉歌人・山上憶良が伯耆国守として倉吉にいたのは716年から4年間です。国府川のそば、不入岡の国庁で大御堂廃寺の伽藍をながめていたかもしれません。「しろがねも くがねも玉も 何せむに まされる宝 子にしかめやも」という憶良の歌碑が、奇しくも市営ラグビー場そばの児童公園にあります。朝鮮半島からの帰化人で、鉄づくりの技術や絹織物を伝えたとされる勝氏をまつる神社も近くにあります。大御堂廃寺界隈は古代ロマンあふれるところです。

真田広幸会長

満席の文化財講演会

大御堂廃寺跡(右奥が市営ラグビー場)

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