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世直し餃子に生きる義民の心        入江宜明さん

2019年7月12日

 八頭郡の退職公務員連盟(岡森裕会長)は7月12日、八頭町中央公民館で研修会を開き、わかさ生涯学習情報館の元館長・入江宜明さんから江戸時代の鳥取藩最大の百姓一揆とされる「元文一揆・勘右衛門騒動」を聞きました。
 元文一揆は今から280年前、元文4年(1739年)の旧暦2月、今の暦では桜の咲くころ、3月29日から4月5日にかけて発生しました。凶作続きで飢えた百姓が各地で騒動を起こしながら移動し、最終的には因幡、伯耆の百姓5万人が安長、古海の千代川河原に集まり、藩と交渉しました。しかし、百姓の要求は取り上げられず、首謀者は処罰され、藩側の役人も罷免されて決着しました。
 入江さんによると、江戸時代に鳥取藩で発生した一揆は44件(因幡13・伯耆30・因伯1、八頭郡誌)あったそうで、藩全域に広がったのは、この元文一揆だけだったといいます。原因は豊凶にかかわらず年貢を一定にし、大庄屋に徴収を請け負わせる「請免制」にこだわり、破免など時局に合わせた救済に乗り出さなかったからだとされています。
 元文一揆の翌年には匿名で「因伯民乱太平記」という本が出され、そのてんまつを記しています。それによると、西御門に集まった百姓たちは若桜宿、船岡村、用瀬宿などの大庄屋の家を打ち壊しながら移動し、炊き出しや米などを供出した者には乱暴しなかったといいます。一揆の後は首謀者の勘右衛門とその弟、武源治など20人ほどが死罪さらし首になったそうです。その「斬刑地蔵」が千代川に沿って走る鳥取環状道路のそばにまつられています。
 勘右衛門は東村(今の八頭町東地区)の人です。八東川のたびたびの氾濫(はんらん)を見かねて、私財を投じて石組み堤防を約600m築き、土手には飢饉に備えて「ニラ」を植えました。近くには地元住民によって勘右衛門の顕彰碑が建てられています。
 一方、「ニラ」は地元の勘右衛門土手ニラ保存会が守り続け、10aほどの畑でも栽培されています。平成22年からは鳥取県の農商工連携事業で倉吉市の焼き肉・ラーメン店と組んで「世直し餃子」として商品化され、イベントなどでも売り出し、「おいしい」と好評です。

入江宜明さん

東村勘右衛門の顕彰碑

八東川の徳丸どんどから望む「勘右衛門土手」

八頭地区退職公務員連盟の研修会

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