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豊かな中海に再生しよう       渡部敏樹さん

2019年7月11日

 「境港市のことをもっと知ろう」という境港楽習会(定岡敏行代表)が始まりました。昨年に次ぐもので、開講日の7月11日は市老人福祉センターでNPO法人自然再生センター副理事長の渡部敏樹さんが「中海の四季」について語りました。境港楽は毎月1回、11月まで5回あります。
 渡部さんは1942年(昭和17年)旧渡村生まれ。地元の高校を卒業後、地元の金融機関に勤め、退職後は地元で無農薬の農場を経営するかたわら、中海の海藻を回収して農場の土づくりに活用しています。また、かつての弓浜部の特産品・伯州綿の復活を目指して、そのトップとしてがんばっています。生まれてからずっと、中海を見続けてきました。
 渡部さんによると、中海は昭和30年代半ばごろまで四季があり、豊かな海だったといいます。
 春は潮干狩りができ、5月になると農家は肥料にする海藻を一斉に刈り取りました。夏は海水浴ができ、ニガシオによる魚の収穫でにぎわったといいます。ニガシオとは水温低下で海が青白くなり、魚が浮いたり、岸辺に寄ってくる現象で、住民は総出で正月料理に欠かせないゴズとりに励んだそうです。秋はゴズ釣りの最盛期。夜には舟にガス灯をともして、ヤスやタモで魚とりしたといいます。冬の凍てつく日は甲イカ拾いで海岸はにぎわいました。中海は年中、みんなが集まってくるところでした。
 そんな豊かな中海から四季が消えていったのは、昭和35年ごろだったといいます。社会生活の変化や化学肥料、農薬などで中海の汚濁は進み、1968年(昭和43年)からは中海干拓が始まりました。中浦水門が完成したのは昭和49年。このころになると、中海の浅場はほとんど消えました。その後、干拓地は次々に完成していきましたが、農業事情の変化や環境悪化が問題になり、2002年(平成14年)には「昭和の国引き」と呼ばれた中海・宍道湖の淡水化事業が中止になりました。中浦水門が平成21年に撤去されると、海藻が発生する海になりました。
 中海再生に向けて、干拓に伴ってできた海底のくぼ地修復と放っておくと腐敗する海藻の処理が課題になりました。島根大学を拠点に産官学民で自然再生センターができ、くぼ地の埋め戻し、海藻の回収と利用の取り組み、学校での環境学習などが行われています。調べによると、くぼ地は中海全体で800万㎡(3,100万㎥)、東京ドーム25杯分もあるそうです。これをならす土砂が確保できず、火力発電所の石炭ガラで代用実験しているそうです。再生へ挑戦が続きます。
 渡部さんは「一度壊れた自然を元に戻すのは難しいことです。でも、あきらめてはいません」と話していました。

渡部敏樹さん

中海にかつてあった海水浴場

海藻の生態系影響調査

海藻を入れた芋畑

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