とっとりいきいきシニアバンク「生涯現役」
0857-59-6336
お問合せ お気に入り

HOME活動紹介

ただものじゃない鳥取藩           鳥取歴史振興会

2019年6月23日

 鳥取歴史振興会(森本良和会長)は6月23日、NHK大河ドラマ「西郷どん」の時代考証をした志學館大学の原口泉教授をゲストに招いて、鳥取市の県立博物館で薩長因備シンポジウムを開きました。明治維新の立役者が「薩長土肥」ではなく「薩長因備」だったことを改めて示し、幕末維新史を塗り替えたいとしています。
 原口教授は平成31年2月のNHKの人気番組・歴史秘話ヒストリアで「明治維新は薩長因備の力によるもの」と断言し、全国の歴史研究家から注目されました。
 その根拠になったのが、鳥取市歴史博物館が所蔵する西郷隆盛の手紙です。手紙は鳥取藩の家老・荒尾駿河へ渡ることを想定して岡山藩家老・土倉修理之介に出されたものです。「鳥取藩は真に勤皇に尽くすものか、はたまた、ただ朝廷の動きを見ているだけなのか」という内容で、鳥羽・伏見の戦いの10日前でした。鳥取藩への気遣いとどう喝は奏功し、戦いが始まると、鳥取・岡山藩は薩長の戦列に加わっていました。しかも加担したのは両藩だけでした。鳥取・池田両藩主は将軍・徳川慶喜の兄弟。この身内割れの姿は他藩の動向を左右しました。
 この日、原口教授は「薩長因備の真実」について基調講演し、西郷たちが鳥取藩の動向に気をもんだわけを解説しました。将軍の兄であることに加えて、全国12番目の大藩で大兵力があり、薩摩・肥前藩と同様、当時の鳥取藩は反射炉を備えて大砲をつくる技術や軍事力があったことなどをあげました。鳥羽・伏見の戦いでは、鳥取藩は淀千両松の戦いで長州勢の先頭に立って、大砲を撃ち続けたといいます。
 原口教授によると、戦の初めのころ、大藩のほとんどは薩長と幕府の私戦と模様ながめをし、肥前が戦列に加わったのは江戸城の無血開城後、上野戦争からだったといいます。
 明治維新をリードした薩摩藩について、原口教授は興味深い話を紹介しました。それによると、薩摩藩は琉球などを窓口に東シナ海経済圏を確立し、日本海経済圏と連携することで富を蓄えたといいます。黒色火薬は木炭、硫黄、硝石を混合して作りますが、硫黄は薩摩硫黄島、硝石は越中・五箇山(加賀藩)が主産地です。その交易には北前船が使われたといいます。薩摩藩は広島藩とも深くつながり、大崎下島(呉市)の御手洗港を拠点にしたといいます。広島藩や日本海諸藩との人や経済のネットワークが薩摩藩の力の源だったようです。

鳥取歴史振興会長の森本良和さん

歴史ファンが集まった薩長因備シンポジウム

原口泉さん

鳥取城跡の擬宝珠橋を渡る鳥取藩第13番隊の山国隊(平成31年3月)

一覧に戻る