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「赤とんぼ」親子を語る          四井幸子さん

2019年6月23日

 童謡「赤とんぼ」をつくった三木露風の生誕130年を記念して、鳥取市のわらべ館は露風誕生日の6月23日、記念コンサートを開きました。赤とんぼの母・碧川かたの生涯をNHK朝の連続テレビ小説の候補に推す四井幸子さん(岩美町)もゲスト出演し、「赤とんぼ」親子のエピソードを紹介しました。
 三木露風(1889~1964年)は兵庫県たつの市で生まれました。母親は鳥取藩家老の和田邦之助の娘・かた。かたは龍野の名家に嫁ぎ、2人の男の子をもうけますが、身持ちの悪い亭主のせいで離婚します。露風はこのときの心境を「われ七つ 因幡に去(い)ぬのおん母を 又かえりくる人と思いし」と、詠っています。
 かたは自立のため、看護婦(いま看護師)になり、再婚します。5人の子どもにも恵まれ、働きながら、子育てしながら女性参政権運動などに取り組みます。一方、露風は詩作の才を発揮し、大正時代の詩壇で北原白秋とともに「白露時代」を築きました。大正10年、露風は「赤とんぼ」を発表します。作曲は山田耕筰です。
 夕焼け小焼けの赤とんぼ 負われてみたのは いつの日か
 山の畑の桑の実を 小籠につんだは まぼろしか
 十五で姐やは嫁に行き お里のたよりも 絶えはてた
 夕焼け小焼けの赤とんぼ とまっているよ 竿の先
 昭和33年に音楽の教科書に採用され、国民が最も愛する童謡、日本の歌の代表格になりました。
 「赤とんぼ」親子の心情をしのび、四井さんの熱の入った解説が続きます。露風はだれに負われたかったのでしょう。嫁に行ったのはだれだったのでしょう。竿の先に止まっているのは、とんぼだけだったのでしょうか―。
 記念コンサートは露風自筆の「赤とんぼ」の歌詞や耕筰自筆の「赤とんぼ」の楽譜などが並ぶ会場でありました。わらべ館の童謡・唱歌専門員の平緒佐和さんと濱崎希さんがピアノと歌で露風の作品を紹介し、来場者とともに「赤とんぼ」を合唱しました。露風にとって最高の誕生日プレゼントになったことでしょう。

四井幸子さん

三木露風生誕130年記念コンサート

朝ドラを目指す「赤とんぼの母」のパンフレット

三木露風

三木露風自筆の「赤とんぼ」(鳥取県立博物館蔵)

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