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荒木又右衛門没後380年        佐藤翔風さん・竹内道夫さん

2018年10月08日

 江戸時代の剣豪で三大あだ討ち(鍵屋の辻の決闘)で知られる荒木又右衛門の没後380年供養祭が命日にあたる10月8日、鳥取市の玄忠寺(田中博道住職)であり、詩吟や剣舞が奉納され、講話もありました。檀家など約100人が参列し、遺徳をしのびました。
 荒木又右衛門(1599~1638年)は柳生新陰流の剣豪で、大和・郡山藩の剣術指南役。妻は岡山藩士・渡辺数馬の姉。数馬の弟・源太夫は岡山藩主の小姓でしたが、同僚の河合又五郎に殺され、又五郎は切腹命令を無視して旗本安藤家に逃げ込み、外様大名と旗本が対立する事件に発展しました。
 岡山藩主の死去に伴い、幕府は岡山池田家と鳥取池田家の国替え、旗本の謹慎処分などで幕引きを図りましたが、主君の遺言で数馬は弟のあだ討ちの旅に出ます。助太刀したのが又右衛門。やがて数馬・又右衛門ら4人は敵を見つけ、三重県伊賀市の鍵屋の辻で待ち伏せ。河合方11人と決闘に及び、本懐を遂げます。1634年のことでした。その4年後、又右衛門らは鳥取藩に迎えられますが、又右衛門は鳥取到着後2週間ほどで急死します。命日は旧暦の8月28日でした。玄忠寺には大きな墓があります。
 それから380年。供養祭は盛大に営まれ、吟道翔風流日本吟翔会の佐藤翔風宗家会長と大日本正義流剣舞術総本部の多田正満宗主が詩吟と剣舞で「荒木又右衛門の墓」を奉納したのをはじめ、鳥取湖陵高の吟詠剣詩舞部や県剣道連盟の森本真一教士なども剣舞、居合道などで御霊を供養しました。
 文芸史家・竹内道夫さんの講和「剣豪 荒木又右衛門」もありました。それによると、又右衛門が鍵屋の辻で討ったのは2人でしたが、講談や歌舞伎、浄瑠璃などで36人斬りになり、子どもたちに人気のあった「立川文庫」(明治末~大正末)で全国に広まったといいます。又右衛門の謎の死については、急死説、亡命説、詰め腹説、毒殺説、自決説などいろいろあるものの、鳥取藩は文書を残しておらず不明だそうです。
 竹内さんは訴えます。「鳥取砂丘を全国に広めたのは作家の有島武郎だった。志賀直哉や野口雨情などの文化人もたくさん又右衛門の墓参りに訪れている。これまで又右衛門の映画もたくさん作られ、大当たりしているが、まだNHKの大河ドラマの話はない。鳥取県の宝を持ち腐れにしたままでは、寂しいではないか」と。鳥取城の修復整備が進むなか、観光のまちづくりには史実に基づくドラマも必要です。

 ※写真上:竹内道夫さん

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