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2018年8月04日
鳥取ゆかりの万葉歌人・大伴家持の生誕1300年を記念して8月4日、鳥取市の因幡万葉歴史館で万葉集講座が始まりました。鳥取県の前教育長・中永廣樹さんの「大伴家持の名歌鑑賞」で開講し、平成31年2月まで5回にわたって山陰の万葉集研究者の講義が続きます。初回は約30人が受講しました。
大伴家持(718~785年)は奈良時代の高級官吏で歌人。天皇の身辺警護を担った大伴氏の長男で、その生涯は藤原氏の台頭など政変のたびに波乱に見舞われました。万葉集(20巻4500首余)の編集者とされ、自らの歌を473首収めているほか、因幡国庁で新年に歌った「新しき年の初めの初春の今日降る雪のいやしけ吉事」を巻末歌にしています。
ちなみに万葉集には柿本人麻呂の歌が84首、山上憶良は60首、山部赤人は50首が収録されており、家持の歌の多さは群を抜いています。また、万葉集の17-20巻は家持の歌日記だったという見方もあります。
中永さんは万葉集にたくさんある家持の歌の中から名歌12首を選び、解説しました。多くが高校古典の教科書で紹介されている歌です。
「朝床に聞けば遥けし射水川(いみずかは)朝漕ぎしつつ唱(うた)ふ舟人」
「ますらをは名をし立つべし後の世に聞き継ぐ人も語り継ぐがね」
家持が都から遠く離れた越中(富山県高岡市)で国司をしていたころの歌です。中永さんは「万葉集は庶民的で素朴で力強いとされているが、家持の歌には現代に通じるもの悲しさがある」と解説。併せて絶唱3首といわれる巻19の巻末歌も紹介しました。
「春の野に霞たなびきうら悲しこの夕影にうぐいす鳴くも」
「我がやどのいささ群竹(むらたけ)吹く風の音のかそけきこの夕(ゆうへ)かも」
「うらうらに照れる春日にひばり上がり心悲しもひとりし思へば」
中永さんによると、家持は春愁や感傷をテーマにした珍しい歌人で、上司の左大臣・橘諸兄が引退するなど独りぼっちになった心境を歌に託していたと分析しました。
家持は因幡での「新しき年の…いやしけ吉事」の歌を最後に歌づくりを閉じたといいます。このとき家持42歳。その後、参議として朝政に加わるなど昇進を重ね、最後は不遇なうちに68歳で生涯を閉じましたが、この間の歌が1首も残っていないそうです。中永さんは「思いを込めてやめたのだろう。見事な終わり方です」と感心していました。
次回の万葉集講座は9月22日、倉吉博物館長の根鈴輝雄さんが「万葉歌人・山上憶良の歌と治政」を話します。
※写真上:中永廣樹さん