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かつて奥日野は鉄の産地だった         奥日野ガイド倶楽部

2018年6月23日

 大正時代まで全国屈指の「たたら製鉄」の産地だった奥日野。その遺跡を訪ねる「たたら古道ウオーキング」が6月23日ありました。奥日野ガイド倶楽部(佐々木彬夫代表)の皆さんが案内し、参加の20人が日南・日野町の森のなかの「たたら街道」を歩きました。鳥取県社会福祉協議会・とっとりいきいきシニアバンク「生涯現役」共催。
 伯耆国たたら顕彰会の調べによると、旧日野郡の「たたら製鉄」の遺跡は420カ所あり、日南町で250カ所、日野町で125カ所確認されています。この遺跡の多さは、「たたら製鉄」の燃料・木炭調達のためで、原料になる木材が枯渇すると、「たたら場」を引っ越ししなければならないためです。
 引っ越しといっても、道路づくり、土地造成、水路整備、鉄づくりの工場となる「高殿」、その地下構造づくり、鉄を加工する大鍛冶場や作業場、そこで働く人や家族のための住居などの建設が必要で、まさに森のなかのまちづくりです。
 その数ある遺跡のなかで、日南・日野の町境にある都合山たたら遺跡(約2ha)が、「たたら場」の遺構をよく伝えていることがわかり、観光資源として活用するため、日野町は一帯を保存するとともに、スマートフォンやタブレットなどの端末で、たたらの操業現場を動画で再現するバーチャルガイドのサービスを始めています。
 たたら古道ウオーキングは日南町花口から入り、森のなかの「たたら街道」を歩いて都合山たたら遺跡を目指し、日野町上菅駅に抜ける約7㎞のコースです。街道は整備されているものの、利用されたのは昔のこと。いまでは地元の皆さんが草刈りなどで手入れしているおかげで、2時間ほどで完歩することができます。
 佐々木代表によると、都合山たたらで暮らしたのは約200人。そこでつくった鉄製品や原料、食料品などを運んだのは、もっぱら馬で、新見まで持ち込んで舟で瀬戸内へ、境港からは北前船で大阪へ、鉄を積みだした境港はたたら製鉄のおかげで港湾整備が進んだなどと説明しました。
 「たたら街道」の道中には、ところどころに大きな炭焼きの跡やイノシシが寄生虫駆除のためにする泥かぶりの「ヌタバ」などがあり、参加者はそれらの解説を聞きながら、たたらで栄えていたころの奥日野のにぎわいを想像していました。

 ※写真上:奥日野ガイド倶楽部代表の佐々木彬夫さん

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