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美しい田園風景をつくった男         脇坂幸司さん

2018年3月02日

 倉吉市の小鴨シニアクラブ(北村隆雄会長)は3月2日、小鴨公民館に地元の講釈師・松風軒倉山(脇坂幸司)さんを招いて公開講談会「日本型稲づくりの礎 老農・中井太一郎」を開き、日本の田園風景をつくった郷土の偉人に学ぶとともに、テレビドラマなどによる太一郎の顕彰運動を話し合いました。およそ100人が聴講しました。
 中井太一郎(1830~1913年)は久米郡小鴨村(倉吉市)の出身。幕末から明治時代にかけて農業改良に一生を捧げた人。日本で初めて「田植え定規」を考案し、全国に「正条植え」を普及して歩くとともに、中耕除草機「太一車」を開発して雑草取りという重労働から米づくり農家を解放し、米の生産性向上に大きな足跡を残しました。
 稲を等間隔で植える方法は、いまでは田植え機に引き継がれ、省人化や病害虫に強い米づくりを実現し、併せて稲穂が整然と並ぶ日本の美しい田園風景をもたらしました。また、「太一車」が原点になっている中耕除草機は、有機栽培による米づくりの拡大や東南アジア、アフリカなどの米づくりでも引っ張りだこになっており、いまも昔も鎌鍬同様、稲作に欠かせない大切な農具であり続けています。
 そこで地元の倉吉西中と倉吉東中は平成29年秋、合作で太一郎の功績を紙芝居やDVDにして郷土学習の教材をつくる一方、小鴨シニアクラブの有志も太一郎物語の寸劇をつくり、顕彰活動を展開中です。
 この顕彰運動に弾みをつけるため、講談会が開かれたもので、日ごろは倉吉名所の赤瓦商店街・豊田亭で「淀屋」や「八犬伝」などの講談を上演している脇坂さんに新作「労農・中井太一郎の一席」をつくってもらい、公演の運びになりました。
講談時間はおよそ20分。太一郎の生い立ち、米づくりの苦労、因伯で2万人が餓死したといわれる天保の大飢饉(申年がしん)、明治初めの地租改正の不服従運動‥‥時折り「ババンバンバン」と張り扇を打ち鳴らし、名調子が続きます。
 太一郎は50歳を過ぎてから「田植え定規」を考え、除草機「田打転車」の改良に精魂を傾け、ついに62歳のときに「太一車」の開発に成功、特許を取得しました。①雑草が取れる②同時に土を掘り起こして肥料をかき混ぜることができる③しかもそれらがひとりでできる―。脇坂さんは「革命的な農機具開発は太一郎の熱意と伯耆の鉄づくりの歴史と稲扱き千羽をつくりだした倉吉の鍛冶技術が集まってできたもの」と講釈し、太一郎の句「仇をなす田の草討ち取る車かな」を紹介しました。
 会場には「鳥取県を舞台に! 歴史大河ドラマを推進する会」の関係者も訪れ、太一郎物語のテレビドラマ化や「太一米」づくりなどを提言し、盛り上がりました。

 ※写真上:松風軒倉山(脇坂幸司)さん
  写真下:中井太一郎と太一車のイラスト

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