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占領政策の功罪      清末忠人さん、松田章義さん

2017年11月04日

 鳥取市歴史博物館と県立公文書館は、県民とともに「占領期の鳥取を学ぶ会」を立ち上げ、太平洋戦争終結後の占領下の鳥取の解明を進めていますが、市歴史博物館でシニアバンク登録者2人を招いて「鳥取に進駐軍がいた頃」の鼎談会を開き、市民60人が聞き入りました。
 「占領期の鳥取を学ぶ会」は英文のGHQ(連合国軍総司令部)軍政レポートをもとに終戦直後の県内の様子などを調べており、その成果は新鳥取県史現代編(平成30年度刊行予定)に反映されることになっています。戦前・戦後を知る人が多く登録する鳥取県社会福祉協議会のシニアバンクも、この事業を共催しています。
 鼎談会は鳥取市の清末忠人さん(昭和6年生まれ、元小学校長)と松田章義さん(昭和9年生まれ、元高校校長)がゲスト出演し、新県史編さん委員の小山富見男さんが聞きました。
 鼎談は①戦時中の思い出②進駐軍の印象③占領政策の功罪―などで展開しました。
 松田さんは「終戦前の8月5日未明、突然の空襲警報と同時に照明弾が落とされ、ビラが降ってきた。そのビラは鳥取を含む12都市の爆撃予告。憲兵隊が回収して回り、口外するなと諭されたが、6日には広島、9日には長崎に原爆が落とされた。終戦が10日遅れていたら、鳥取もたくさん殺されていたと思う。終戦直後にあったのは教科書の墨塗り。こんな体験を通じて子ども心に自分の目で見、考え、感じることが大切と思った」と当時を振り返っていました。
 清末さんによると、進駐軍が鳥取に来たときは「女の子は外に出るな。男の子はのぞき見するな」と注意を受けたが、「ターバン姿の英印軍を見たときは怖くて隠れていたものの、車からチョコレートなどを投げるので近づいた」。また、進駐軍のなかには支給品を売りに来る兵隊さんも多かったようで、「パンパンと兵隊さん、お互いの手紙を翻訳したこともあった」という。
 占領政策の功罪について、松田さんは①日本史上初めての占領軍だったが、戦後の混乱が食い止められ、日本復興の素地となった②アメリカから大量に脱脂粉乳が届けられ、子どもたちの健康維持に貢献した③新憲法制定や女性の解放、教育の民主化、労働者団結権の保障、農地解放など日本の変革をもたらす多くの政策が進められた―と、その功績を指摘すると同時に、①アメリカ主導で事態が進んだ②日本人自らの発想や意識ではなく、アメリカ主導の外圧が日本の歴史に続くきっかけになった―と説き、同じ敗戦国のドイツが「総ざんげ」で自ら変わり、自立していったように、日本人も自主、自立の意識変革ができているか、検証が必要と訴えていました。
 清末さんも「GHQは横の平等という思想を入れて、日本のタテ社会を破壊した。人に迷惑をかけても自由という自由のはき違えや変な思想も広がった」と、日本の戦後の問題点をただしていました。

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