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文学碑をなぞれば…  森田尾山さん 大山は大山   竹内道夫さん

2017年9月30日

 平成30年の大山開山1300年を前に「秋の大山講座」が続いていますが、その第3弾「大山の文学散歩」が大山寺周辺であり、約60人が文人も愛した大山を学びました。伯耆国「大山開山1300年祭」実行委員会、新日本海新聞社、鳥取県社会福祉協議会・とっとりいきいきシニアバンク「生涯現役」共催。
 ガイドしたのは書家の森田尾山さんと文芸史家の竹内道夫さん。大神山神社の石畳参道や大山寺参道などにある11基の文学碑を巡り、豪円湯院で竹内さんの座学がありました。
 文学碑を拓本にして紹介している森田さんは、「作家自筆の碑が多くあり、文字を指でなぞれば、作家の性格もよくわかります」と解説。神社参道わきにある関西の俳人・阿波野青畝の句碑「炎々と大山開く夜なりけり」は、夏山開きのたいまつ行進を詠んだもので、「堂々とした筆遣いは炎の流れを表しており、風流で元気な方だとよくわかります」と説明していました。
 大山といえば、志賀直哉の小説「暗夜行路」が有名ですが、俳句で大山を売り出したのは米子市の安部東水。昭和の初め、日本の名勝を俳句で紹介するコンテストがあり、全国公募10万点のなかから20点が選ばれたそうで、その1つが安部の「笹鳴きや春待ちたまう仏達」。師匠・高浜虚子の「秋風の急に寒しや分の茶屋」の句碑とともに、大山寺参道山楽荘前に並んでいます。
 大山寺参道から脇道に入った宿坊・清光庵前庭には、漂泊の俳人・種田山頭火の「へうへうとして水を味ふ」と倉吉市・河本緑石の「星、みんなきえてしまった頂上にすはる」の句碑がダイセンキャラボクに包まれるようにあります。ともに尾崎放哉などとともに自由律俳句界を代表する俳人。山頭火と緑石は「大山登山」を約束していたものの、緑石の事故死で実現できず、大阪の山頭火研究会と緑石をおこす会が共同で句碑を建立して2人の友情を実らせたという物語が伝わっています。
 竹内さんは「大山には歴史や自然があり、荒々しさや優しさがある。だからみんなをひきつけ、たくさんの文人にも愛される。伯耆富士と呼ばず、大山は大山でよい」と力説していました。
 
 ※写真下:大山の文学碑めぐりを楽しむみなさん(大山寺参道)

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