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「とっとり県民の日」に学ぶ        小山富見男さん

2017年9月10日

 9月12日は「とっとり県民の日」。それにちなんで鳥取市の県立図書館で「鳥取県を舞台に! 歴史大河ドラマを推進する会」があり、郷土史家の小山富見男さんが「鳥取県誕生&とっとり県民の日」について記念講演しました。
 鳥取県は明治4年の廃藩置県で誕生し、明治9年に島根県に併合されて消滅します。岡崎平内(初代鳥取市長)など多くの先人の再置運動が実って、明治14年9月12日に再び誕生。これを記念して平成10年に「とっとり県民の日」が制定され、学校などで郷土学習やイベントが行われています。郷土の先人の活躍にスポットを当てる大河ドラマを推進する会の活動も、そのひとつです。
 小山さんによると、廃藩置県で306あった道府県が中央集権化で漸減し、明治9年には鳥取や徳島など14県が廃合となり、40道府県に。47道府県になったのは明治21年といいます。
 鳥取藩は明治維新で倒幕に貢献したものの、新政府の官吏として採用されたのは、わずか41人(政府全体の0.5%)。そのうえ32万石の鳥取藩が18万6千石の松江藩に吸収されたとあって、士族の不平不満は募り、困窮士族を救済する「共斃社」の足立長郷などは再置運動を暴徒化させます。
 一方、上級士族や商人などで「愛護派」をつくった岡崎平内は島根県議会議長になり、明治13年に徳島県が高知県から分離独立した情報をもとに鳥取を取り戻す運動を進め、島根県議会で鳥取県再置を決議し、政府に働きかけます。山縣有朋参議の山陰巡視を経て鳥取県再置の運びとなっていくなかで、明治天皇の曾祖母・大江磐代君(倉吉市出身)の人脈が果たした役割も大きかったといわれています。
 鳥取県再置が決まる過程で、伯耆に根強い再置反対の声があり、政府内には一時、因幡の兵庫県併合案も検討されていたそうで、初代県令(知事)の山田信道は「小異を捨てて大同につく」県政に腐心したそうです。

 ※写真:小山富見男さん

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