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琴浦町にもある岩船地蔵尊     根平雄一郎さん

2017年7月30日

 平成30年の大山開山1300年祭を控えて、「大山さん講座」第2弾が始まりました。1―3月の冬の講座に続くもので、今回は11月末まで5回開かれます。秋の講座は大山寺周辺などでの野外活動が中心で、日本遺産・大山さんの語り部づくりが本格化してきました。講座は伯耆国「大山開山1300年祭」実行委員会、新日本海新聞社、鳥取県社会福祉協議会・とっとりいきいきシニアバンク「生涯現役」の共催。
 秋の講座は日本海新聞の西部本社でスタートしました。講師は境港歴史研究会代表の根平雄一郎さん(元境港市教育長)と松江城調査研究室専門官の卜部吉博さんの2人。根平さんは「大山さん信仰」の調査研究の成果、卜部さんは松江城が国宝になった背景に大山中興の祖・豪円大僧正の存在があったことを発表。100人が聴講しました。
 根平さんは大山寺縁起絵巻に載っている下野国(栃木県)岩舟・高勝寺の「牛の代かき絵図」の研究を通じて、東伯郡琴浦町八橋地区にも古くから生身地蔵の霊場として親しまれている岩船地蔵があることを突き止め、その縁起を紹介しました。この地蔵は広域農道の倉阪神社~大成公民館の中間あたりにあり、町保護文化財に指定されています。
 根平さんによると、岩船地蔵の起源は大山開山より古い450年代で、信仰する人の夢枕に現れては苦難を救済するというので信者が増え、堂や鐘楼などができたといいます。しかし、度重なる火災で堂塔は焼失し、「下野国へ行って東国の仏縁の人々を救済することにしたい」と告げて、下野の岩舟山に現れ、ここでも霊験あらたかで、民衆が熱心に信心したといいます。その後、八橋の女商人の夢枕に立ち、「余は元の国である八橋の岩船に帰るから堂を建立してほしい」とお告げがあり、江戸時代の終わりごろまで厨子堂があり、熱心に信仰されたそうですが、今では岩船地蔵が昔の面影を留めているだけです。
 根平さんは大山寺や高勝寺の寺伝から、大山寺の第4世座主・胤海(いんかい)が寛文10年(1670年)に徳川家光の法事で日光に赴き、その際、岩舟の高勝寺に立ち寄っているので、八橋の岩船地蔵が下野国の救済に出かけたという縁起としてまとめられたのではないかと推測しています。
 大山開山1300年祭を機に、八橋の岩船地蔵尊の再評価が期待されます。
 松江城は大山寺祈祷の棟札が築城年代(1611年)の決め手の一つになり、国宝に認定されましたが、卜部さんは大山寺の豪円大僧正と松江城の初代城主・堀尾吉晴のつながりが、大山寺祈祷をもたらしたとみています。
 卜部さんによると、豪円和尚は備前金山寺(岡山市)や比叡山・延暦寺の再建、大山寺の復興に取り組み、天皇家や豊臣家、徳川家から大きな信頼を集めたといいます。羽柴秀吉が備中高松城を水攻めした際には、雨乞いの祈祷をしたらしく、羽柴軍にいた堀尾との接点はこのころといいます。堀尾は城攻め、築城、交渉にたけ、備中高松城攻めでは敵将・清水宗治の検死役を務めたほか、九州や小田原、関ヶ原など各地で活躍し、出雲富田城主24万石へとのぼって行ったといいます。

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